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 2010年8月18日更新

「謎の円盤UFO」第8話 “猫の目は宇宙人”
原題:UFO/♯8 THE CAT WITH TEN LIVES

2010年8月15日スーパー!ドラマTVにて鑑賞


『DNAは宇宙からの贈り物か?』


 1968年制作の「2001年宇宙の旅」と1972年制作の「惑星ソラリス」のちょうど中間にあたる1970年頃に、この「謎の円盤UFO」というTVシリーズはイギリスで制作されている。
 「スタートレック」シリーズもそうであったように、人間ドラマや普遍性のある深遠なテーマを扱ったエピソードの多いSFシリーズである。

 今回も宇宙人の地球侵略をめぐるストーリーの中に、生命というものの意味を問う重要な仮説が織り込まれていた。
 このシリーズに登場する宇宙人は地球への侵略をめざしているが、決して征服して統治することが最終目的ではないのが特長である。彼らは科学の極端な進歩により寿命を大幅に延ばす技術を持っている。ところが、肉体を構成する器官や組織はいずれ衰えていく。そこで、自分たちとよく似た組織を持つ地球人を生け捕りにして必要なパーツだけを移植するのが彼らがの地球にやってくる目的なのだ、とされている。

地球防衛秘密組織SHADOのDr.ダグ・ジャクソンは、撃墜したUFOの中に残る宇宙人の死体を解剖する。彼はSHADOの最高司令官であるストレイカーに「その身体は、人間そっくりというより人間そのもといっていいというくらいである。」と報告する。今回までのストーリーで考えられてきたような「人間によく似た身体」をはるかに超越しているということがわかったのだ。話を聞いていた別の将校は、「それは、(宇宙人ではなく)人間なのではないか。」と疑問をはさむ。それに対してジャクソンは、「脳に人間にあるはずの感情や創造性を掌る部分が欠落している。」という。「その部分が理論を掌る組織だけで成り立っている。」と。そして、推理の段階としながらも、ある仮説を披露したのだ。

 「彼らは、元はぜんぜん形のないものかもしれない。人間の身体を使用して知能や考え方のパターンだけ入れ替える。そうなったとき我々の身体はコンテナであり、入れ物である。いわば、長い宇宙旅行に備えるための部品交換だ。彼らは生きているコンピューターだ。」

 この説での「宇宙人」をDNAという概念に置き換えれば、ドーキンスの『利己的な遺伝子』における「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」という比喩に近いものとなる。
 我々の体内にあるDNAは古代に宇宙人が操作したものである、という俗説もあるようだ。
 ならば、「そもそもDNAは宇宙人が持ち込んだものである。」さらには、「DNAこそ宇宙人の実体である。」と考えることも可能なはずである。

 この“猫の目は宇宙人”という話では、猫の身体を宇宙人が乗っ取り「生きているコンピューター」として暗躍している。人間だけではなく、生命体であれば「知能や考え方のパターン」を入れ替えることが可能である、というわけだ。
 こうなるともう、もはや遺伝子レベルの話を飛び越して、霊や魂といったもののようである。
 霊魂のような、人類には未知の“ぜんぜん形のない”存在が宇宙からやってきて、“彼”がDNAを形成する何かの信号を地球上の有機体に作用させ、生命を創り出したのではないかとも考えられるようになる。
 そうであったなら人間の生存にとって、人類の掌る科学など取るに足らないものに見えてくる。そのかわりに輪廻転生や憑依現象というものを“合理的”に説明できるようになる、というものである。

UFOの“渡来”
 日本でUFO(未確認飛行物体:Unidentified Flying Object)という概念を初めて普及させたのは、実にこの「謎の円盤UFO」という番組であった。それまでは、空飛ぶ円盤と呼ばれていた。
 “未確認飛行物体”という新しい言葉には、“科学的客観性”というものを感じさせる響きがあった。本来アメリカ空軍で使用される事務的な用語であるのに、それを初めて聞いた人は、宇宙人の実在を科学的に証明する意欲のようなものを、その言葉から勝手に嗅ぎ取っていたのだった。
 空飛ぶ円盤も、宇宙人も、元々はSF小説や映画というフィクションの中から創り出されたものであった。これらの客観的な実在性が議論されるようになったのは、後になってからのことだ。その議論は当初「宇宙人の存在を信じるか、信じないか。」という一種の“信仰”レベルのものであった。根拠もなしに二者択一を迫られ、それを人格の尺度のように計られていた。いわく「ロマンがある、ない。」とか「想像力の欠如」とか。
 我が国において特にそうした志向が強かったのは、竹取物語などにおいて既に月という天体での“地球外生命体”を認める土壌が民間に根付いていたことも深く影響している。
 古来、一部留学生や漂流民を別として日本列島の島民の感覚では、唐天竺も、極楽浄土も、月も、実際に赴くことのできない地としてほぼ等距離の存在であったのだ。これらのうち、唐の国は実際に訪れた人間の証言もある。彼らの持ち込んだ文物は、他の地の実在にも根拠を与える説得力をももたらしたのだった。「遠くにあるらしい“唐”に人が住んでいるなら、“月”に人が住んでいても不思議はない。」という具合に。
 同様に、“科学的客観性”というものも実は、日本列島の島民にとって多分に呪術的なものを含んでしまっている。「戦後の経済は科学的発展がもたらしたものだ。」といった一方的な見解にそれは顕著に現れている。“IT”や“エコ:ECO”といった実態もよくわからないものに対する無批判な中での、異様な信奉ぶりもまた然りである。
 “未確認飛行物体”という新しい言葉はたちまち本来持っていた客観性の枠を超え、幻想やロマンの対象に変質していった。
 イギリスで制作されたこの「謎の円盤UFO」という番組が、1970年当時に“子供向け番組”として扱われたことに、テレビ局サイドのそうした姿勢がうかがわれる。大量に出回ったプラモデルに子どもたちは眼を奪われ、番組のテーマ性は省みられなかったのである。




出演:エド・ビショップ、マイケル・ビリングトン、ジョージ・シーウェル、ガブリエル・ドレイク
製作総指揮、監督:ジェリー・アンダーソン
脚本、衣装デザイン:シルヴィア・アンダーソン
特撮監督、メカデザイン:デレク・メディングス
音楽:バリー・グレイ
上映時間60分
1970年頃イギリス



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