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 2010年5月28日更新

映画「ラウンド・ミッドナイト」

2010年4月28日NHK-BS2にて鑑賞

『天からジャズが降ってくる』

 窓に向った黒く大きな背中のシルエット。冒頭の白黒画面は、この男にまつわる話がすべて思い出の中にあることを示している。思い出とは、主人公のフランシスすなわち、タヴェルニエ監督の追憶のことである。“ジャズの巨匠”デール・ターナーは実在しない。映画の中にも外にも。彼はジャズの精霊である。それは、フランシスの撮った白黒フィルムの中(=タヴェルニエ監督の追憶)から沸き上がったものだ。求道者のような彼の箴言はその精霊が語っているものだ。
 冒頭のシーンで窓の外を向いていたデールがこちらを向き振り返ると、画面は白黒からカラーになる。部屋の中ではベッドに死にかけの黒人が横たわっている。(「金曜だった」とデールはいう。デールがのちに死ぬことになる日も金曜だ。)ベッドサイドに現れたデール・ターナーの黒い影は、まるで、死にかけの黒人の分身のようだ。理想と現実の対峙といってもよい。理想を願うデール・ターナーはパリ行きを口にする。パリなら自分の演奏を理解されると考えたのだ。ベッドの黒人は「もっと普通に話せないか」という。デール・ターナーの話す言葉がすでにフランシスすなわち、タヴェルニエ監督の言葉になり始めているからだ。実際の彼ら黒人であれば、スラングとかを使った別の言いまわしで表現するか、あるいは語らずに済ますところだろう。(後に語る箴言の数々も同じことだ。何しろ音楽家にしては饒舌すぎる。)
 そして、デール・ターナーはパリで蘇る。階段を登るデールに、黒人女性が赤ん坊をとりあげる助産師のようにいう「もう少しよ。あと1段よ」隣人の黒人が赤ん坊に与えるミルクのようにワインを与える。やがてヨチヨチ歩きのデールは、フランシスたちの力で復活する。しかし、彼自身にかつての沸き上がるような創造性はもう残されていない。新たな創造を生む力は天啓を授かったフランシスや、料理人のエースたちに受け継がれた。精霊のデールはもうやり残すこともなくなって、一人の孤独な人格に戻る。(同じく弧度な思いをかかえたフランシスの元妻とデールとの間に共感したような一瞬のアイコンタクトがある。)海の広さを感じて、つかのまの幸福感を味わった彼だが、現世においての孤独感だけは覆うべくもない。この世の優しさに触れることなく、彼を生んだニューヨークから旅立つことになるのだ。もちろんニューヨークの興行師は僧侶・葬儀人であり、薬の売人は死神である。
 クラブは基本的に酒場だから、演奏中でも食事をしたり、酒を飲んだり、煙草をふかす。背を向けて話をする者もいれば、途中で出て行く客もいる。ジャズはこういう現場で鍛えられたのだろう。こんな所で客の気を惹き付けるために変わったコードが進化していったのかもしれない。―デクスター・ゴードンは、相手の演技を受けるの時のタメ(間)が音楽的だ。彼の演奏は、ほんわかと柔らかい、そして、じんわりと凄い。

出演:デクスター・ゴードン、フランソワ・クリューゼ、ガブリエル・アケル、ハービー・ハンコック
監督:ベルトラン・タヴェルニエ 製作:アーウィン・ウィンクラー
脚本:ベルトラン・タヴェルニエ、デビッド・レイフィール
撮影:ブルーノ・ド・カイゼル
音楽:ハービー・ハンコック
上映時間130分
1986年アメリカ/フランス

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