トップページ > 映画 > ジュリア

 2010年5月6日更新

映画「ジュリア」

2010年4月7日NHK-BS2にて鑑賞


『リリアン・ヘルマンは二度転ぶ』


 リリアンは、ジュリアと二人で山に登る。山の高みはそのまま、ジュリアのもつ高みだ。そもそもジュリアは異界の住人である。やがては、手の届かない世界に去っていく存在なのだ。
 リリアンは、ジュリアの求めに応じて危険なベルリン行きを決意する。ベルリン行きのビザを求めたドイツ領事館の壁にはヒトラー(=悪魔)のレリーフがかけられていた。ナチス政権下のドイツといえば“冥府”といってもいいような場所である。リリアンにはトランジットビザ(通過旅券)しか与えられない。リリアンは通過するのみで、この世に戻らなければならないからだ。そこに留まってはならない。ベルリンに向かう列車の汽笛が鳴らす長く暗い響きには、まるで冥府下りに旅立つかのような寂しさが感じられる。列車の内外やベルリンのカフェで何度か眼にする太った中年紳士は、あきらかにスパイ(死神)である。死神は最後にカフェで「もうお別れは済んだかい」とばかりにリリアンに一瞥する。
 ジュリアは理想に殉じる人であり、自我に苦しみながら生きるリリアンとは異なるのだ。そして、ベルリンを通過した旅の果てにたどり着いたモスクワで上演されていたのは、ハムレットだった。舞台で繰り広げられていたのは第5幕の墓場の場面。ハムレットは幼馴染みの頭蓋骨を手にしている。死神が目的を達したことが暗示されたわけだ。
 リリアンは、ダッシュと二人で海辺に住んでいる。海の大きさで、ダッシュはリリアンを包み込む。海は生命の誕生するところ。リリアンは、海辺にあるこの家から孵化し、作家として巣立つことになる。二人はたき火に頬を照らされながら食事をする。そして、リリアンの人生について語り合う。ジュリアの住む豪邸での儀式めいた死者の食卓と対称的だ。
 ジュリアを巡る回想は、まるで前世の記憶のようだ。ジュリアは、回想の中ではリリアン以外とは、ほとんど言葉をかわさない。ジュリアがリリアンの心の中に埋葬されているといってもいい。ジュリアは実在しない、といってしまってもよいくらいまで、リリアンの内部で浄化され理想化されているからだ。すでに断筆している作家であるダッシュもこの世ならぬ存在といえる。実際にもダッシュはリリアンに先立ち、死んでいる。年老いたリリアンが薄暗い湖に釣り糸を垂れ、過去を回想する冒頭と終末のシーン。思い出は記憶が塗り重ねれる度にその様相を変えていくという述懐は、生と死の境界線があいまいになる人生の黄昏を印象づけている。
 ところで、リリアンは二度転んでいる。登山の途中、向こう岸でジュリアが待つ丸太橋の上と、ベルリンに向う列車に駆け込むホームで。生と異界の境界線上で、生の世界に留まるための行為といってよい。そして、彼女はそれを後悔している。

出演:ジェーン・フォンダ、バネッサ・レッドグレーブ、ジェイソン・ロバーズ
監督:フレッド・ジンネマン
製作:リチャード・ロス 原作:リリアン・ヘルマン
脚本:アルビン・サージェント 撮影:ダグラス・スローカム
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
上映時間118分
1977年アメリカ

ジュリア [DVD]




ページの先頭へ