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2010年7月18日更新

ジェイムズ・ジョイス「ダブリン市民」"Dubliners"について―10―
“Clay”「土」「土くれ」

小説「ダブリンの市民」/ジェイムズ・ジョイス著・結城英雄 翻訳 〜「土」
小説「ダブリンの人びと」/ジェイムズ・ジョイス著・米本義孝 翻訳 〜「土」
小説「ダブリナーズ」/ジェイムズ・ジョイス 著・柳瀬尚紀 翻訳 〜「土くれ」


『ジョーは最後になぜ涙したのか?』


 表題名の“Clay”とは魂の抜けた人間の肉体を指す。人間は元々“土”から創られたものだからだ。主人公のマライアは生死の境にいて“Clay”になりかけている。マライアはある出来事のためのショックで精神に大きな痛手を負っているのだ。それはアルフィという名前の男の子の死によるものである。それがこの話の本当の出発点なのである。そしてこの話はハロウィンの晩に起こったことだ。

【この日までに実際に起こったこと】
 マライアはかつてジョーの家の家政婦だった。そして一家の主との不義により生まれたのがジョーなのである。つまりマライアはジョーの実母なのだ。その関係はジョーの父親が酒に酔ったとき強引に結ばれたものだ。カトリックでは離婚もできない。まだこどもに恵まれていなかったこの一家では、ジョーを正式の子として育てることにした。もちろん近所の目には充分な配慮が配られたことであろう。当然のことながら一家の女主人がジョーに対して愛情を持った育児を施すことはむずかしい。マライアは家政婦の身分のまま実質的な育児を担うべく、この家に残ったのだ。しかし、その後この一家の主人夫婦の間にも男の子が生まれる。夫妻の本当の実子である。それがジョーの弟だ。二人はいずれも夫妻の実子として育てられる。やがてこの一家の主人夫婦は他界しこの秘密はマライアだけのものになる。その前後にジョーは結婚し子どもを4人授かる。この子たちもマライアが育児を助けたのである。祖母としての愛情を密かに注ぎながら。
 ところがある日一番可愛がっていた長男アルフィがマライアの不注意により死んでしまう。彼女の嘆き悲しみようは半端ではない。激しく取乱す姿を見てジョーの異母弟ははっきり気づいたのだ。子どもの頃からの疑惑が解け確信に変わった。事実を兄に仄めかすとジョーは信じたくないとばかりに激しく反発した。以来、兄弟の仲は険悪なものとなったのである。マライアといえばショックで記憶があいまいになる。アルフィという名の男の子がいたことは覚えているがその死をどうしても認識できない。あげくのはてにジョーの異母弟が子どもだった頃のイメージが重なり、彼のことを“アルフィ”という名前であると無意識のうちに心に摺り込ませてしまった。そうしないと生きていけない。ジョーへの深い愛情がそれを支えているのだが、永いこと他人を演じ続けたことも相まって彼が実の息子であることも記憶から消滅してしまったのだ。
 マライアがこのままこの家に居続けることはジョーの奥さんの手前もあって厳しい。マライアをどこかの施設に預けようということになるが、彼女の不幸な過去を知る弟はカトリック系の施設に入れるのは不適切だと主張した。そのことで兄との関係は最悪に至る。それでも二人でなんとか見出したのは娼婦の矯正を目的とする女性ばかりの「《ランプ灯のダブリン》洗濯場」の下働きの仕事だった。プロテスタント系の施設だがカトリック系の彼女でも下働きなら置いてもらえることになった。マライアに対してはもういっしょに住んでいても食べさせる余裕が無くなってしまったという口実をもうけた。マライアはそこでの生活をはじめてようやく馴れ始めた頃に向えたのが、このハロウィンの晩である。

【悪霊の手】
 マライアの魂は弱って空白化し始めている。実に悪魔の狙い目である。ところが彼女はプロテスタントとはいえキリストの保護化にいる。彼女がここに導かれたのには必然性があったのだ。マライアは主人の酒のせいで関係を結ばれたわけだが彼女の方でもこの主人に対しては密かな想いを抱いていた。だから彼女の方でも酔った主人に隙を見せるという罪を犯してしまったのだ。―彼女が若い頃を回想して「何度も衣装で着飾ったことのある自分の小さな体を奇妙な愛情を込めてながめた」ところにその片鱗をみることができる。ところが大事な肉親を失うことでその罪は購わられ、マライアならぬ“マグダラのマリア”のごとくに娼婦たち“罪の女”の“守護聖人”となったのである。―だから不思議と女たちを仲直りさせることができて、婦人監督から「あなたって本当に平和を実現する人なのね!」といわれるわけである。
 ところがこの施設は死の世界に最も近い場所でもある。ここに身を寄せている女たちの魂は既に現世を離れつつあるが、その罪により天国にも地獄にも行けないでいるのだ。「火は気持よく赤々と燃え、サイドテーブルの一つにはとても大き乾葡萄入りのケーキが四つ載っている」という描写がそれを暗示している。「火」はハロウィンの“ジャックオーランタン”のごとくに、死の世界から拒否され闇を彷徨う魂を哀れんで、悪魔から得た種火を灯した光である。悪魔の力を使って悪霊たちを遠ざけているのだ。「乾葡萄入りのケーキ」は“ソウルケーキ”と呼ばれるキリスト教徒の風習で魂を天国に導くための施しである。いずれもハロウィンで死の世界と現世の境がなくなっているがゆえに、目に見えてはっきりと現れたものだ。
 もちろん“ソウルケーキ”を取り分けるのはマライアの役目だ。死後の世界への旅立ちを前にした女たちを安かに天に送るべく。しかしこの時、彼女の心の内外で徐々に悪霊の魔の手が忍び寄ってき始めていた。ジンジャー・ムーニーという女は「下宿屋」の話に登場したムーニー夫人に連なる、淫乱な性格を匂わせている。悪徳を胸に秘め既に悪魔に浸食されている彼女は、悪霊を遠ざける「火」を怖れている。彼女が「もしマライアがいなかったら、アイロン担当のあの黙り屋に目にものを見せてやるのに、といつも言っている」というのは、アイロンは当時は火を用いて暖めていただろうから、その火を掌る役目の「黙り屋」から火を奪ってやりたいということだ。現状では“守護聖人”であるマライアがそれを拒んでいるというわけだ。そして魂が空白になって無垢な状態にあるマライアの心の隙にも悪霊の魔の手が忍び寄っている。魂の抜けた人間の肉体“Clay”つまりただの“土の塊”のように、外見が悪霊の意思のままに変化していっていたのだ。鼻が顎につきそうになる面容は魔女のそれであるし、これは自前のものでなく孫のアルフィが死んだのちに徐々にそうなってきたものだ。廻りも本人も気づかぬままに。温室で植物を栽培し始めたのもいわゆる“魔法の薬”を煎じる準備だ。そのための大きな銅の釜も用意してある。
 夕食も済みマライアはジョーの家に出かける支度を始める。この時、翌朝のミサを意識しているのはまだ信仰を失っておらず悪霊の完全な支配下にはないことを示している。彼女がハロウィンの晩にその家に戻ろうとする最大の理由は死んだ子の魂を無事に天に送ることだ。また同時にその家を向うことが、かつて愛を封印したジョーの父への想いを微かに蠢かせている。愛する男性と血を分けた肉親というこの上ない存在への執着が、この危険な場所で魂の朽ちるのをかろうじて防いだのである。
 ところが外に出ると雨である。これは悪霊を遠ざける「火」を鎮火させてしまうものだ。このままではマライアの魂が無防備に成ってしまう。しかしマライアには雨外套があるし雨を遮る路面電車に乗ることもできた。「彼女は車両の端の小さな丸椅子に、乗客みんなのほうに向かって腰かけることになった。床に爪先ががかろうじてついた」―彼女の魂はすでに追い込まれていてもう少しで肉体を離れようとしている様子である。ここでジョー親子に対する彼女の強烈な想いが無意識に吹き出てくる。電車の中で彼女は思う―「ジョーとアルフィがお互いに口もきかないのが残念だ“she could not help thinking what a pity it was Alphy and Joe were not speaking.”」―これは一義的にはジョー兄弟が仲が悪くて「口もきかない」という意味だ。彼女はジョーの長男アルフィとジョーの弟を混同しているのだ。でも本当はマライアの心の奥底で、彼女の息子ジョーが長男のアルフィーと“話すことが永遠にできなくなってしまったこと”を嘆いている、それが滲み出ているのだ。あまりにも深い嘆きといえる。
 彼女が心のどこかで長男アルフィの存在を強く意識しているのはダウンズ菓子店での買物にも現れている。彼女はお菓子を1ダース分買った。12個である。理由がある。これから向かう家の習慣は熟知しているから隣家の娘が2人パーティーに参加することはわかっている。そしてジョーの子が4人の計6人の子どもがパーティーに参加すると無意識に考えて6の倍数である12個にしたのだ。だが実際は1人減っている。この勘違いはアルフィという名前に対する誤謬と似た性質のものだ。アルフィの死を容認できないでいることによるのだ。ところが一方でアルフィに対する愛情はひとかたならぬものがある―「それから、他に何を買ったらいいだろうと考えた。何か本当にいいものを買いたい」―死んだ子のために買ってあげるもの、それは“ソウルケーキ”である。だからわざわざケーキを買い足したのである。
 若い店員が「ウェディングケーキでも買うつもりですか」とたずねたのに対して、顔を赤らめ微笑んだのはジョーの父親との切ない思い出が蘇ったからだ。そして実際マライアの眼の前にジョーの父親が現れることになる。次に乗った路面電車で出会った「恰幅のいい紳士」がそうだ。彼女はここまで魂をすり減らして死んだ子のためにやってきている。彼女の存在は現世の「若い男たち」にはもはや気づかれなくなってしまっているが、紳士はジョーの父親だからマライアに親切なのだ。彼女は気づかないが、酒の匂いが微かに鼻をついてそれはまさにジョーの父親であることを示している。酒癖が悪いのはジョーではなくて父親の方だったからだ。ジョーの父親はアルフィといっしょに家までやってきて自分は“ジャックオーランタン”によって家に入れないから先に冥界に戻るところだったのである。―この時父親はちゃっかりと“ソウルケーキ”の一部を取り分けて持っていったはずだ。3等分してマライアとアルフィの分を残して…。
 そしていよいよマライアはジョーの家に着く。死んだアルフィの魂はハロウィンの不思議な力により家に戻っていたのだ。この子の魂がまだ無垢なままであったからだ―「マライアは長男のアルフィにケーキの袋を渡し、分けてね、と言った。ミセス・ドネリーは、こんなにも大きなお菓子の袋を持って来てもらってすみません、と言い、子どもたちみんなにお礼を言わせた“Maria gave the bag of cakes to the eldest boy, Alphy, to divide, and Mrs. Donnelly said it was too good of her to bring such a big bag of cakes, and made all the children say:”」―この時ミセス・ドネリーにはアルフィの姿は見えていない。マライアだけがアルフィを見出したのだ。“the eldest boy, Alphy, to divide, and……”という具合にAlphyの前後のコンマを入れた間合いに、本来のアルフィである男の子の存在に戸惑いながらもそれが長男であることをぼんやり思い出している様子が表れているのだ。アルフィに渡した袋は“ソウルケーキ”の入っている方である。マライアはそれを思わずそのまま渡してしまったのだ。“to divide”「分けてね」というのは“自分マライアと二人でわけようね”という意味であったのだ。ところがジョーの父親が切り分けておいた残りの2個まるごとをアルフィに渡してしまったのである。そうしてアルフィの魂は祖父の霊魂の元へと、死後の世界へと旅立っていったのだ。
 そんないきさつもわからずにダウンズ菓子店の袋だけを受け取ったミセス・ドネリーは、予想外にたくさん入っているお菓子に感激したというわけだ。“ソウルケーキ”(プラムケーキ)の入った袋はもう彼らの手には永久に戻らないことになっていた。
 悲しいことにジョーの目に映ったマライアの姿もこの時随分と変わった姿になってしまっていた。マライアにアルフィの存在が認識できなくなったように、ジョーのほうでも次第にマライアのことを以前感じていたように、母親かもしれないとは思わなくなってきてしまっているのだ。―ジョーが以前言った「ママはママだが、マライアはぼくの本当の母さんだ」というのは比喩ではなく願望であり、事実だったのに。それでもどこかでマライアを庇護していたわる気持ちをもっているから、彼女を暖炉のそばにすわらせてその火で悪霊から守り、小さい子どもが母親にするように日常のたわいもない話を聞かせたのだ。
 この時マライアの魂はいよいよ悪霊に支配され始めている。彼女は肉体を遊離し始めていてすでに胡桃を割ることはできなくなっている。ジョーはそれに気づいたから胡桃割りが見つからないことを怒っているのだ。ジョーも意地になっている。彼女は彼にワインを勧められても「どうかお構いなく」としかいいようがない。ジョーが聞き入れないので「彼の好きにさせた」―グラスにワインを注がれたが手をつけることができずにいたということだ。もはや何をもらってもマライアには“お供え物”でしかないのだ。
 マライアにはもう時間がない。アルフィを送り出したあとに残された大きな仕事は、ジョーたち兄弟の仲を取り持つことだ。「みんなは暖炉のそばにすわりながら昔のことを語り、マライアはアルフィのことをとりなそうと思った。しかしジョーは、あいつともう一度口をきくくらいなら死んだほうがましだ、と叫んだので、マライアは、こんなことを話題にして悪かったわ、と言った。ミセス・ドネリーが、自分の血と肉を分けた兄弟のことをそんなふうに話すなんて恥ずかしいことよ、と言ったが、ジョーはアルフィなんか兄弟でも何でもない、と言い、そのことをめぐって口論が起こりそうになった」
―マライアは「アルフィのことをとりなそうと思った」とあるが、実際口に出したのは“兄弟で仲良くできないかしら”というものだった。そこでジョーは改めて弟への憎しみの言葉を放つ。それに対してマライアは“ごめんなさい、アルフィのことを話題に持ち出してしまって”というふうに謝ったのだ。ここで初めてマライアがアルフィとジョーの弟を混同していることが表に現れたのだ。でもジョーにはそれがわからない。ジョーは(死んだ長男の)アルフィの話をしてるわけじゃない、何でアルフィなんて名前を持ち出すんだといわんばかりに“Alphy was no brother of his.”―“(マライア、何をおかしなこと言ってるの)アルフィは弟なんかじゃなかった(長男だったでしょ)”」という意味で言ったのだ。だから「そのことをめぐって口論が起こりそうになった」というのはミセス・ドネリーがマライアの混乱具合を察して、事情のわからないジョーとの間に齟齬をきたしたためである。マライアのショックが癒えてなくて混乱しているのがあなたにはわからないの、といった調子だ。“Alphy was no brother of his.”という言い方がマライアには「アルフィ(弟のこと)なんか兄弟でも何でもない」という意味、すなわち兄弟への絶縁の言葉に聞えてしまうことをミセス・ドネリーは察したのだ。
 でも時すでに遅し。ここに完全にマライアの最後の望みである兄弟和解の夢は絶たれた。これは実は当然と結果であった。マライアの方に原因がある。マライアは結局ジョーの弟の名前を思い出せなかった。それは血を分けた息子ではないからというだけでなく自分とジョーの父親との結婚を拒む者の息子であるからである。彼女の魂の奥底にそれをどうしても許せない部分があるからだ。その結果、彼女の心が生きた人間より死んだ肉親を尊重してしまったのだ。だからこそ彼女は死の世界に引き寄せられることになってしまったのである。これが彼女の悲劇の本質である。
 ついにマライアの魂に悪霊のお出迎えがくることになる。ハロウィンの占いで彼女が触れたのはあきらかに死を意味する土である。その答えを導いたのは隣家の娘の手を借りた悪霊の仕業である。目隠しをされて視界を閉ざされたマライアが火から遠ざけられてしまったせいだ。
 ミセス・ドネリーは無理に占いを変更してマライアが今年のうちに修道院に入るということにする。そして邪気を払うかのように子どもたちを陽気に踊らせる。母親の勘である。死んだもう長男は帰らない。生き残ったものを守らなければならないのだ。
 ジョーも実母の野辺送りを始める。子どもたちが眠ったあとにいよいよマライアの旅立ちである。ジョーは彼女に生涯の想いを込めた曲を歌わせる。「大理石の館に住みし夢 家臣と農奴われにかしずく」―日影の存在でなく一家の女主人として幸福な家庭に身を置きたかったという彼女の叶わぬ夢の歌である。2番が歌えないのはそれがハッピーエンドに終るからだろう。マライアの歌は次の一節で終る。「されどもっと楽しき夢も見た、あなたの変わらぬ愛の夢。」まさしくジョーの父親とのひとときの夢の思い出である。彼女は今夜それをその血を分けた息子であるジョーと過ごすことで蘇らせたのだ。歌い終わったあとの彼女は、すっかり魂の抜けた人間の肉体“Clay”つまりただの“土の塊”となり、魔女にその姿を乗っ取られてしまったはずだ。マライアの魂はその肉体とひきかえに救われ死の世界へ旅立った。ハロウィンの晩が終ると魔女もこの家を去ることになる。ただの“土の塊”となって。「誰も彼女の間違いを指摘する者はいなかった」理由はマライア自身の姿が誰の前からも消え失せたからである。
 ジョーの心からもすでにマライアは消え失せている。感激の涙が乾いたとき、彼がその涙の理由を思い出すことはもはやなかろう。「自分が探しているもの」すなわち母親と息子の面影を忘れ、「栓抜き」を求める「はめになった」―ジョーの心からは母親が喪失され、酒に溺れた父親の幻影を追い求めるしか彼の過去を成り立たせるものはもはやなくなったのである。かくて彼の涙は母親への哀れみから彼自身の不安と孤独によるものとなっていったのだ。

―ハロウィンにちなんだ怪談話の一席でした、といった趣向の話であった。

―ハロウィンを背景にしたこの話は"Dubliners"の中でも異例なほどにスピリチュアルな内容のものだ。欧米のテレビドラマなどでもハロウィンの日前後には、それまで毎回描かれていた現実の世界を逸脱して、異次元の世界を表出したような内容が多くなる。キリスト教の深く根付いた欧米ならではの傾向のようで、我が国でのすっかり娯楽化してしまったお盆シーズンにおける怪談話以上の真剣さを感じる。

―5年前聖霊降臨祭の時ベルファストにジョーといっしょにいったのはもちろん長男のアルフィの方である。弟ではない。

―ドネリーは「下宿屋」の主人公ドーランにあたる。同時に「対応」「写し」のファリントンでもある。ファリントンと異なり上司とのっぴきならぬところまではいっていない。その点はドーランに近い。

―この話はこれまでの"Dubliners"の各逸話と同じようにマライアの意識が地の文章に現れている。つまり作者が主人公に“成りきった”状態での語りが目立っていた。今まではそれが物語の迫真性に繋げるための手法であった場合が多かったのだが、この“Clay”では、読者を真の主人公(ジョー)から一時眼をそらせるためのものとして使われている。

―マライアが歌った曲の元になった戯曲は下記の映画と共通であると思われる。筆者はその内容を参考にした。
映画「ボヘミアン・ガール」(1922) 原作戯曲/マイケル・ウィリアム・バルフ あらすじ―goo映画より引用
波蘭軍の士官タディウスはオーストリア軍に追われて遂にジプシーの群に入る。令嬢の危難を救った功でブレスブルクの伯爵アルンハイムの館に招待された彼は、オーストリア太公を侮辱する。伯爵は怒ってジプシーの頭を囚える。その復讐に頭は破牢して令嬢を拐す。かくて十二年タディウスは彼女と恋に陥る。ジプシーの女王は嫉妬の極、悪計を企むが却ってタディウスと伯爵令嬢との結婚となって目出たく納まる。

注)固有名詞や一人称の表記及び引用した翻訳文は主に結城訳に拠った。あくまで便宜的なもので他意はありません。 
注)原文はPenguin Popular Classicsに拠る。

ダブリンの市民 (岩波文庫) ジェイムズ・ジョイス 著・結城英雄 翻訳
ダブリンの人びと (ちくま文庫) ジェイムズ・ジョイス著・米本義孝 翻訳
ダブリナーズ (新潮文庫) ジェイムズ・ジョイス著・柳瀬尚紀 翻訳
Dubliners (Penguin Popular Classics) ペーバーバック