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2010年7月13日更新

ジェイムズ・ジョイス「ダブリン市民」"Dubliners"について―9―
“Counterparts”「対応」「写し」

小説「ダブリンの市民」/ジェイムズ・ジョイス著・結城英雄 翻訳 〜「対応」
小説「ダブリンの人びと」/ジェイムズ・ジョイス著・米本義孝 翻訳 〜「対応」
小説「ダブリナーズ」/ジェイムズ・ジョイス 著・柳瀬尚紀 翻訳 〜「写し」


『ファリントンは一体なにを待っていたのか?』


 人生は魂が装う衣服である。ジョイスの魂が“ダブリンの人びと”の姿を身に纏いながらその着心地を読者に伝える"Dubliners"の9作目である。今回の“衣服”が一番しっくりきたのではないだろうか。なにしろ主人公ファリントンは飲んだくれの荒くれ者である。けれども誰の姿を借りても結局ジョイスの魂、つまり作家の野性的本能はメラメラと騒ぎだすことになってしまう……。
 ファリントンは書類を書き写す仕事をしている。他人の指示による機械的な作業だ。正確さのみが要求される。だから彼には自由意志がない。自我が抑制されているのだ。そんな彼の憂さ晴らしは酒しかない。彼は仕事中でもよく酒を飲む。そうしなければ暴力沙汰を起こしかねないからだ。自由意志という人間性を剥奪された彼の魂は、暴力衝動という野生回帰の血をアルコ―ルで押さえるしかないのだ。彼の体内には「濃いワイン色」の血が巡っている。ファリントンという勤め人スタイルの“衣服”を引きちぎり押さえ込まれた魂のマグマが吹き出さないように。
 ファリントンは成人男性の主な居場所である“職場”と“酒場”と“家庭”にてバトルを繰り広げる。いずれも彼が抑圧された状況下でその魂が生き残るための戦いである。タイトルの“Counterparts”とは戦いの対戦相手のことである。
 冒頭の「ベルが烈火のごとく鳴りひびき」とはジョイスが主人公ファリントンの姿を身に纏って目覚める覚醒の瞬間を向えた“開幕ベル”であり、さらには戦いの始まりを告げる“ゴング”だ。「ファリントンをよこすんだ!」いきなり戦場に呼び出される。ゴングは既に鳴らされたのだ。「男はなんだ、ちくしょう!と低くつぶやいてから、椅子を後へ押しやって立ち上がった」仕方なしにコ―ナ―ポストを離れ戦いに臨む。
 実はこの上司アレイン氏はある恨みから絶対に負けない勝負でファリントンに報復するために彼を呼んだのである。
 仕事の怠慢を叱責するならただひとこと“ちゃんと仕事しろ”といいさえすればいいのである。しかしこの上司は答えようのない質問ばかり浴びせることで相手を一方的にやり込めている。“職場”で上司と戦っても勝負にはならない。勤め人に残された唯一の武器は“言い訳”だが、それも封じられたらもはや手も足もでない。彼は“Yes, ser.”をくり返すしかない。
 ここでファリントンに暴力の衝動が訪れる。当然である。こういう時は上司を殴りたくもなる。彼は暴力による破壊によりこの不均衡を解消したいという衝動をかかえてしまったのだ―「男はクロズビ―・アンド・アレイン事務所の業務を管理するてかてか頭をじっと見すえて、かち割れそうなその脆さを測定した。」
 その破壊行動はしかし自我の完全な崩壊にも繋がる。そこで抑制されていた自我が一瞬目覚める。その衝動は野生のものであるが自我はそれを避けようとし始めた。―「憤怒の発作がしばし喉もとを締めつけて、やがてそれがおさまると、激しい乾きの感覚があとに残った」―もう飲むしかない!
 やり場のない野生の衝動―それは「一晩したたか飲まねばすまないぞ」というほどの凄まじさである。そんな金はない。しかしファリントンの自我は仕事さえ完遂させれば「業務を管理するてかてか頭」が給料の前借りを許すことになるかもしれないという一縷の望みにすがりながら足を止めそこにつっ立ったままこらえた―「そこに立ったまま、書類の山にのっかる頭をじっと見すえた」―頭をかち割られるか、酒代を用意するか、判断を結局アレイン氏の側に委ねられている。それはファリントンにとって抑制されている自我が完全に崩壊されてしまうか否かの選択の瞬間だ。
 彼の“殺気”はアレイン氏にも伝わった。彼は不意に書類を探す“ふり”をし始めたのだ。―「それから、まるでこの瞬間まで男の存在に気づかなかったかのように、再びひょいと頭を突き上げた」―ファリントンの目覚めた自我に気づいたのだ。アレイン氏は相手の“殺気”をはぐらかすように言う―「なにをのんきにかまえてる!」―ファリントンの心中が「のんき」ではないことは本当はわかっているのだ。彼にも自我の防衛本能が働いたのである。だから今度はファリントンが“Yes, ser.”以外の答えを返しても怒らないのだ。
「待っていたんですが……」―このファリントンの返答は“頭をかち割られるか、酒代を用意するか”に対するアレイン氏の判断を“待っていた”という意味だ。“自分は自由意志を否定されている。だから判断の責任はアンタにある。さあ、いじわるな質問ばかりしていないで今度はアンタが答える番だ!ここじゃアンタが神様、俺とアンタの運命を決めてもらおうじゃないの!”と強くいいたい気持ちを、しかし“へっぴり腰”に「……」と口ごもってしまう。元々ファリントンが勝つ可能性があるはずはない。そもそも“仕事の怠慢”を叱責されているのに“仕事の完遂”を報償の条件にしてしまっている理屈が通る道理がない。それでも彼はこのまるで同語反復の繰り返しのような論理の円環をぐるぐると巡っているうちは、己の身を滅ぼす行為に外れて行く危険を回避できたのだ。彼の本能がそうさせたのである。これは野生の本能ではなく、人間の本能である。毎日毎日同じ言葉を写させられて彼独特の思考方向である。しかしときに人間は不合理な論理によって身を守る。彼の人間性維持のぎりぎりの瞬間だ。そして上司アレイン氏は「待ってなくていい。下へ行って仕事をするんだ」と知らず知らずのうちにこの円環を断ち切ってあげることになる。これは今までの戦闘的な口調と異なり、全く普通の上司の“指示”である。アレイン氏も相手の戦う意志に気づいたため戦いの場を日常の空間に戻すことで自己防衛に成功したのである。ファリントンが言いかけた‘I was waiting to see …’のあとに続くのは an order on the cashier となり「できれば会計に命じて前払いをいただけるようお待ちしてたんですが」というニュアンスにト―ンダウンさせられてしまったわけである―「男はのっそり重たげにドアに向う」―ファリントンは渋々引き揚げて行ったのだ。
 二人の自我が相対したとたんにお互いはその本能に従って譲歩した。勝負は最後には痛み分けとなったのだ。ファリントンの自我もかろうじて救われたわけだ。しかしそれぞれの魂のうちには押さえつけられたマグマが残された。沸々と煮えたぎるその音がアレイン氏の口から洩れる。彼は部屋を出て行くファリントンの背中に向けて仕事を完了しなかったら上司に伝えるという“最後通告”のような呪いの言葉を浴びせたのだ。当然今回はファリントンに同意の言葉は求めなかった。
 ファリントンの方でも仕事に集中できるはずもなく、結局は酒場に一時退避せざるをえない。ボクシングのインタ―バルよろしく水の代わりにアルコ―ルを補給して再びリングに臨むことになる。
 ダメ―ジの残る身を引きずってリングに戻ると今度は別の力が彼の弱き本能をいたぶることになる。その元凶は「もやっと鼻衝く香水の匂い」である。妖艶な女性の顧客から受けた刺激が今度は押さえがたい性欲衝動を誘発する。これはキツイ。AからAと機械的に写す作業の中に埋没し、ぎりぎりの均衡を保っていた自我がバランスを崩し始めた。彼は今まで気にもかけなかった写しの書類の文言の内容が気になりだす。そして「バ―ナ―ド・バドリ―」と写すべきを「バ―ナ―ド・バ―ナ―ド」と書いてしまう。自我の均衡と安定を支える天秤が大きく傾いた瞬間である。B―B―Bと3つ重なる同じ文字が目につき、バ―ナ―ド・バ―ナ―ドと2つ重ねて同じ名前を続けて書いてしまう、同じものを写し続けているうち、どれもが同じものに見えてきたのだ。今度こそ本当の同語反復である。「タイプライタ―のカチカチいう音にしばらく耳を傾けて“listened to the clicking of the machine”」―ファリントンの自我は“machine”機械と同化していってしまう。それももはや壊れた“machine”機械だ―「外へ出て猛然と暴れたくなった」以前にも増して強力な嵐のごとき暴力衝動が吹き出しそうになる。彼はそれでも夜の酒場を想い懸命に暴走をこらえた。
 しかもまたもや上司アレイン氏による“仕事の怠慢”への叱責が始まる。波状攻撃である。「それがあまりに痛烈ですさまじいので、男は目の前のその小人の頭に拳骨を喰らわすのを思いとどませるのがやっとだった」アレイン氏はなぜ先程にも増して執拗な攻撃をしかけてきたのか。それは皮肉にもファリントンの自我のバランスを崩したのと全く同じ要因である。彼は女性の前で力を誇示したかったのだ。そうなるとファリントンとてつい今しがたまでの暴力衝動がぶっ飛んで男の自尊心が現れる。彼は女性の視線を意識しておっかなびっくりに“大芝居”を打ったのだ―「それはフェアじゃないと思います」男なら正々堂々と戦えと言わんばかりだ。“大芝居”の観客である同僚や当のデラク―ア女史、そして誰よりファリントン本人までもが仰天する。しかしここは彼の“ステ―ジ”ではなのだ。これでは“職場”という世界での自己否定に繋がってしまう。“座長”であるアレイン氏は激怒し元々勝ち目のない1回目のバトルはファリントンの完全な敗北に終った。
 彼の魂は“地上”を追われた。もはや酒場の“楽園”へと逃避するほかない。しかしこの“楽園”は天国や地獄と異なり有料である。相応の“対価”が必要なのだ。酒場で仲間と一晩したたか飲むための金はどこで手に入れるか。今さら“職場”にそれを求めることはできないし失職も時間の問題だ。彼はそこを追放されてしまったのだ。しかし彼を抑圧していた秩序から解放されたともいえる。時間に縛られる秩序からの逃走だ。もう時計もいらない。「そうだよ、それそれ!どうしてもっと早く思いつかなかった?」―思いつかなかったのは実は「質屋」ではなくて時計を手放すことだ。抑圧と同時に安定をもたらしていた秩序を象徴する時計を対価として彼は楽園へのチケットを手に入れたのだ―「男は、みんなくたばれってんだ」「会社勤めの若い女たちを主人顔で吟味した」―ファリントンは気持ちが大きくなってそれっぽっちの対価で楽園においては永遠の“勝者”であり続けられるような幻想に陥り始める。彼の“勝者”としてのフィクションは地上でのこのセリフで幕を開ける―「それでおれはちょっとやつの顔を見たさ――平然とな、そして女を見た。それからもういっぺんやつの顔を見た――わざとゆっくりとな」……しかし実際は全く逆だったはずだ……「男は婦人の顔から小さな卵形の頭へとちらっと視線を移し、またもとへ戻した」そしてその発言も「フェアじゃねえと思うね」ではなく実際は「それはフェアじゃないと思います」という具合にちゃんと“ser”を付けた丁寧な言い方だったはずだ。彼の自我が解放され浮き足だった様子の現われである。
 酒場の“楽園”ではファリントンは英雄である。それもそのはず、この時居合わせた5人のメンバ―の奢り奢られの収支決算をしてみると圧倒的にファリントンが“赤字”である。観客に料金払ってるのだから拍手喝采は当たり前だ。ファリントンは逃避と勝者としての幻影を追い求めて来たのだからそんなことはこの際どうでもよいことなのだ。ただし、おせせ鼻フリンは(どうしても“姉妹”のフリン神父のことを連想せざるをえない)ファリントンにハ―フ一杯奢ったきりであるが「こんなすかっとする話は聞いたことがないや」といった彼だけが真実心よりの賞賛を献じているように見える。ヒギンズやパディ・レナ―ドという男に至っては奢られっぱなしである。さらに不思議なのは、おせせ鼻フリンとヒギンズが金がないと言って別れて行ったあともこのパディ・レナ―ドという男は次の酒場までくっ付いてくるのだ。
 実はこのあとの出来事は、ファリントンのシナリオを離れてこのオハロランとパディ・レナ―ドという男の仕組んだものなのである。レナ―ドはファリントンにウェザ―ズという芸人を紹介する。2回目のバトルの“Counterparts”対戦相手だ。このウェザ―ズも二人と組んでいたのである。三人はファリントンを酔わせてウェザ―ズとの腕相撲を仕掛けて勝利し賭博で儲ける算段をしていたのだ。最後にオハロランがいった「精算」は賭博の換金のことでありその金で「みんな。もうちょいひっかけてから引きあげるぞ」ということになったわけだ。ファリントンを除いた中でオハロランが比較的気前が良かったのはファリントンを酔わせて勝負を不利にするためであったのだ。ウェザ―ズはスコッチハウスで割った酒ばかり飲んでいるし、“戦場”であるマリガン酒場ではビタ―しか飲んでいない―ファリントンはそんなことに気づくはずもなく安く済んで「助かってほっとしている」ウェザ―ズの方はほとんど酔ってないはずだ。
 彼らは飲み友だちのファリントンが女性に敏感なのを知っている。ファリントンは上司と仲のよい中年女性の香水の香りを嗅いだだけで欲情するくらいである。だから「いい女の子を紹介する」と約束しておきながらファリントンは既婚者だからだめだと言ったり、ウェザ―ズの一座の女をファリントンの前で意味ありげにちらつかせるなど、彼が腹を立てて力比べに気持ちが向うように仕向けていたのだ。こうなるとファリントンは圧倒的に不利である。1回目の勝負にあっさり負けたあと「フェアにやれ」と今や得意の“名セリフ”でむなしく抵抗してみる。確かに実際フェアではなかったのだがそんなことはファリントンの知るところではない。彼がフェアでないと指摘するのは「腕の力くらべ」なのに全身の体重をかけたことにある。ウェザ―ズが「フェアじゃないのはどっちさ?」と言い返したのはル―ルで決めたことでもないのに「反則」と言いがかりをつけたことに対してである。どちらも論理上正しいが現実はファリントンには不利で、有利な側であるウェザ―ズが「どっちさ?」とその判断を立場の弱い方に押し付けるのはアレイン氏と同じである。当然“職場”同様にファリントン自ら追い込まれて臨んだ2回目の勝負も敗北に終る。ファリントンが“楽園”だと思い込んでいた酒場は実は地獄だったわけである。
 “職場”でも“酒場”でも勝負に破れた人間が帰る場所は、もちろん“家庭”である。でもファリントンは「家に帰るのがいやでたまらなかった」のだ。「横の入口“side―door”」から家に入ると暖炉の火は消えかかりランプも消えている。2階から男の子が駆け降りて来てファリントンは息子のチャ―リ―と間違える。こどもは「トム」と名乗る。トムは彼に母親は教会だと告げる。地上にも地獄にも居場所を失った魂が向う場所は天界しかない。ファリントンは死んだのだ。家族は全員で葬儀のために教会に行ったのである。「トム」とはファリントンがこどもであった時の幻想である。彼も父親に殴られたことがあったのだ。それが彼の暴力衝動の根幹をなしているのだ。3回目のバトルの“Counterparts”対戦相手は自分自身であったのだ。だから打ち続けていても不毛なだけだ。「父ちゃん、ぶたないでったら……アヴェ・マリアのお祈りしてあげるから……」憎しみと暴力の連鎖を断ち切るように願って祈る少年の叫びにほんの微かな望みを残してこの話は終る。

―子供を打つことに喜びを見いだしていた「出会い“An Encounter”」の男はこのファリントンに通じている。少年が“こうなりたくないけどこうなってしまうかもしれない自分”にまさしくなってしまったのだ。

―「小さな雲」同様この話も「下宿屋」の続編である。ファリントンは「下宿屋」では息子ジャックにあたる。「小さな雲」においてはロンドンに行って出世したが、もしダブリンに留まり柄にも無くチャンドラ―やド―ランと同じ事務職になっていたらこうなってしまった、という話である。

―アレイン氏の共同経営者クロズビ―氏は最後まで姿を現さない。アレイン氏はクロズビ―氏を神、自分を神の代理のような振る舞いファリントンに対して教条的な物言いをする。アレイン氏の実体は本当は悪魔でファリントンに暴力衝動や性欲衝動を喚起させることで“悪魔の誘惑”を仕掛けているようにも見える。結局ファリントンはアレイン氏により地獄である“酒場”に追い込まれるのだ。

―アイルランドは格闘技ととかく縁がある。
◎2009年のJ SPORTS PRESS記事より一部引用―[ダブリン1日ロイタ―]ボクシングの元ヘビ―級王者モハメド・アリさん(67)が1日、曽祖父の出身地だったアイルランドのエニスを訪問し、名誉市民の称号を受けた。ダブリンから南西240キロに位置する同地では(中略)星条旗を掲げて盛大に歓迎。(中略)長年パ―キンソン病を患っているアリさんは今回、慈善事業のためにアイルランドを訪問。集まったファンのためにボクシングのポ―ズを取った。
◎アメリカ最大のプロレス団体WWEの現王者(2010年6月現在)は、ダブリン生まれで“ケルト戦士”と呼ばれるシェイマス(ステファン・ファレリ―)である。WWEのマクマホン会長もアイルランド系である。

―アレイン氏を北アイルランド(プロテスタント)、ウェザ―ズをイギリス(プロテスタント)と読み替えることは充分可能である。“家庭”はもちろんダブリン(カトリック)でトムはその未来である。

注)固有名詞や一人称の表記及び引用した翻訳文は主に柳瀬訳に拠った。あくまで便宜的なもので他意はありません。 
注)原文はPenguin Popular Classicsに拠る。

ダブリンの市民 (岩波文庫) ジェイムズ・ジョイス 著・結城英雄 翻訳
ダブリンの人びと (ちくま文庫) ジェイムズ・ジョイス著・米本義孝 翻訳
ダブリナーズ (新潮文庫) ジェイムズ・ジョイス著・柳瀬尚紀 翻訳
Dubliners (Penguin Popular Classics) ペーバーバック